前方に片岡鶴太郎氏、左から伊住弘美夫人・河内博子氏・私・祇園真琴さん・河内誠氏於:京都嵐山吉兆
8:05金沢発のサンダーバードで京都に10:27着。そして嵐山吉兆へ!!!
約一年前、長年の友人 河内誠氏から今日という12/9を空けておくように言われた。
奥様である博子さんの50歳の誕生日を片岡鶴太郎氏亭主の茶事で祝ってもらうから!!!
空けておいたが何のことか一年近く経てば忘れてしまう。その私のようないい加減な人間とは違い、
あれからずっとその祝いの茶事を考えながら稽古を積んできたのは鶴太郎氏であった。
彼は点前を稽古しながら、博子夫人への祝意をいかに示すか?招かれる客をいかにもてなすか?ずっと考えてこられた。
かなり前から友人として御付き合い頂いてきたが、その姿は常に謙虚な挑戦者である。
彼は努力を語らない。結果を誇張しない。当たり前だけどできることではない。
4時間を費やす茶事だった。主茶碗は鶴太郎氏作の黒茶碗。彼は器用な人だと認識していたが、
骨董から極意を学び取っている姿勢には感動した。
暗い茶室で特別なスポットライトがある訳ではないのだが、ぼんやりと光続ける鶴太郎氏、輝きながらも控えめな博子夫人、
大きな体を小さくしながら彼女を見つめる河内誠氏、正客を御務め頂き見守る伊住弘美夫人、
祇園の芸鼓 真琴さんはプロの歌手でもあり合間に「HAPPY BIRTHDAY」をゴスペル調に熱唱してくれた。
嵐山吉兆で茶事は数多くあったに違いない。
しかし決して形式的ではない「主客一体」を皆が実感したすばらしい時間であった。
鶴太郎氏は自らを常に客観的にとらえている人だと思う。
言い過ぎなく、さりげなくメッセージにする生き方は、演技や絵画をはじめとした総ての芸術性に反映されている。
今回の茶事デビューに立ち会えたことは光栄なことであった。
床には円能斎(裏千家13代家元)筆の軸がかけられていたが「知命」という言葉があった。
天命を知ることであり50歳に至ったことも意味している。
伊住弘美氏、河内夫妻、そして私も天命を知る領域となった。
亡き伊住政和氏も同じ歳だった。彼の「知命」のメッセージで皆が集まれたのだと思う。
尚、この茶事は取材があったので明年3月号婦人画報に掲載されることになっている。