私の携帯電話に「嵯峨春平」と表示された着信。日時は2004年8月23日0時40分とある。
しかし、声の主は万里夫人だった。「深夜の電話ごめんなさい」「春平さんがたった今、
亡くなったの」「弟のように思ってってたからお知らせしたかったの」亡くなってから9分後の電話。
予測していたけど、私には返す言葉はなかった。辛い知らせでした。なんでだろう?涙が止まらないのに電話が嬉しかった。
春平さんが好きなのは皆が明るいことかな。春平さんは私にとっていつも兄貴だった。
励まされてばかりだったけど、近年少しだけお返しができたかな?
でも、結局その僕の気持ちが嬉しくてまた励まされたけど。。。想えば数々の出来事を共に過ごしてきました。
毎年、裏千家東京道場での初釜に金沢から一緒した。腹が減っていてはと、代々木八幡駅横でスパゲティー食べてそして、望んだ茶会。
どれだけ続いたことだろう?大きな体で辛そうに正座して、冬なのに汗をかいていた。
これからもずっと一緒に行きたかった。そして生きたかった。亡くなられたその日御家族はつとめて明るく振る舞っていました。
万里夫人を囲んですばらしい子供さん達です。死を皆が知りながら戦った。
それが春平さんがいつも誇りにした「自分の家族」尊敬に値します。
やはり涙が止まりません。ありがとうございました。大樋年雄