December 15th, 2008

ジョージ ナカシマ(桜製作所)/流 政之氏のスタジオ

column

桜製作所内にできたジョージ ナカシマを記念したギャラリー
桜製作所を築いてきた会長 永見眞一氏(右)、社長 永見宏介氏(左)のすばらしい親子継承者とともに
流政之氏アトリエ
温かく迎えてくれた流政之氏のスタッフ香美佐知子さん

 

高松は不思議な所だ。昔、二人の日系米国人である天才芸術家がスタジオを高松に構えた。
一人はイサム ノグチという彫刻家。もう一人はジョージ ナカシマという木工CRAFTMANだ。

 

大樋美術館ロビー、大樋ギャラリーにはジョージ ナカシマ制作の椅子と机が置いてあるのだが、相当昔に父が買い求めたものだ。
今でもその家具は古さを感じさせない新鮮さを保っている。流行を追っていなかったからかもしれない。
私自身も幼少の頃から慣れ親しんできたが、成長とともに更にその木のもつ深みと卓越したデザイン性を感じるようになってきた。

 

どうしても亡・ジョージ ナカシマに会いたくて桜製作所を訪れた。ここは彼が日本で制作した唯一の家具製作所なのだ。
一ヶ月前に記念館がOPENしたばかりで、ジョージ ナカシマと一生の出会いのなかで桜製作所を築いてきた会長 永見眞一氏、
社長 永見宏介氏の親子が迎えてくれた。ジョージ ナカシマの生い立ち(ワシントン州スポケーン生まれらしいが、
私が高校1年の時初めて米国を訪れた町も同じことに驚く)、足跡を丁寧にご説明頂いた。不勉強で知らなかったのだが、
昔、柳宗悦氏が唱えた民芸運動があったが、その「民芸」という言葉の「芸」に抵抗感があり、
広く大衆に使われるべきと「民具」という言葉が生まれたそうだ。
それを提案したのは、高松にやはりスタジオを構えていた彫刻家 流政之氏であり共感したのがジョージ ナカシマだったそうだ。
有意義な教えを多く頂いたのだが、更に驚いたことは永見会長も社長も何度か我家を訪れたそうで、
展示されている椅子も机も総てご存知であった。来年、金沢での再会を誓いあいながら桜製作所をあとにした。

 

途中、話題にもなった流政之氏のスタジオが近くにあるとのことで、穏やかな内海を眺めながらやがて見えてきた邸宅。
地中に隠れながらも、堂々の要塞とでも表現すればよいのだろうか?
一人の彫刻家が自然のなかにここまで存在を示すことができたことに驚いてしまった。
流先生は御不在であったが、スタッフの香美佐知子さんが温かく迎えてくれた。
海を見下ろせる庭園、考案された円形茶室、広い空間なのに所狭しと並ぶ作品群。総てにARTな気が漂っている。
私の工房の気も私自身の制作意欲によってpower upしていくのだろうか?
総ては生き様が証となるとでも言うべきだろうか。本来は空虚となってしまう巨大な空間には、それにまさる大きな気が存在していた。

 

考えてみれば既に亡くなったはずのイサム ノグチ。そしてジョージ ナカシマ。
今でも存在しているかのような両者のオーラは、時を共有した和泉正敏氏親子や永見眞一氏親子、
そして見届けてきた流政之氏などが存在しているからに違いない。私はそんな瀬戸内の温かな師走の風を感じながら高松を後にした。

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