October 5th, 2008

隆茗会茶会

column

茶会の合間に唯一とった3人の写真

 

昭和3年7月仙叟(裏千家始祖)を忍び仙叟遺跡隆茗会が金沢にある月心寺に於いて茶会を催した。
当時の裏千家家元、野村徳七(野村証券創業者)などの全国の数寄者などが会員として名を列ね金沢に集まっている。
その際、私の祖父(大樋焼九代)も主要なメンバーとして参加しており、記録によれば位牌堂に三ツ具足一揃を献上している。
以来80年間、この隆茗会は人から人へ大切に受け渡されながら続いてきている。

 

寛文年間に前田家が仙叟を金沢に招き、その時に長左衛門が同道し大樋焼が始まった。
仙叟は20年以上の金沢滞在を終え京都で裏千家を興した。月心寺には仙叟の墓があり、長左衛門もその側に眠っている。
我家にとってはその歴史が全ての始まりでもある。

 

十代長左衛門(父)は80歳、間もなく81歳となる。まさしく隆茗会の歴史とともに生きてきたと言えるのではないだろうか。

 

10月5日、隆茗会80周年記念茶会が法要とともに月心寺で開かれ、父が濃茶席主を努めさせて頂いた。
朝7時30分から茶会が始まり、15席で終了はほぼ17時。
京都から裏千家宗家の名代も参席して頂いた。
道具は仙叟を忍び、長左衛門との関係に感謝するものを中心にして、隆茗会が始まった時代の祖父の作品などを用いた。
父は十代長左衛門として随分長い時間をかけて取り組んだと思う。

 

20年後は100年の記念茶会があるだろう。父には勿論まだ現役でいてほしい。
しかし、もしそのような機会を我家がまた与えて頂いたとすれば、私が責任をもって担当することになるだろう。
歴史や伝統とは何なのか、今日は深く感動した日でもあった。
そして、父を中心にして母や私が茶碗を運び、弟(裏千家業躰部)が点前、
このような茶会を催せた境遇に手を合わせずにはいられない。

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